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五重塔

著者:幸田露伴

ごじゅうのとう - こうだ ろはん

文字数:54,055 底本発行年:1963
著者リスト:
著者:幸田 露伴
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序章-章なし

其一

木理(もくめ)美(うるは)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳(がんでふ)作りの長火鉢に対ひて話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日(いつ)掃ひしか剃つたる痕の青※(二の字点、1-2-22)と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠(みどり)の※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)ひ一トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と酷(むご)く丸(まろ)めて引裂紙をあしらひに一本簪(いつぽんざし)でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒(まつくろ)にて艶ある髪の毛の一ト綜(ふさ)二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体(ふうてい)、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢(しれもの)が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは外見(みえ)を捨てゝ堅義を自慢にした身の装(つく)り方、柄の選択(えらみ)こそ野暮ならね高が二子(ふたこ)の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引つ掛けたねんねこばかりは往時(むかし)何なりしやら疎(あら)い縞の糸織なれど、此とて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。

今しも台所にては下婢(おさん)が器物(もの)洗ふ音ばかりして家内静かに、他には人ある様子もなく、何心なくいたづらに黒文字を舌端(したさき)で嬲(なぶ)り躍(おど)らせなどして居し女、ぷつりと其を噛み切つてぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく埋(い)け、芋籠より小巾(こぎれ)とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨きおとしを拭き銅壺の蓋まで奇麗にして、さて南部霰地(なんぶあられ)の大鉄瓶を正然(ちやんと)かけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄つて来しものが姉御へ御土産(おみや)と呉れたらしき寄木細工の小纎麗(こぎよう)なる煙草箱を、右の手に持た鼈甲管(べつかふらお)の煙管(きせる)で引き寄せ、長閑に一服吸ふて線香の烟るやうに緩※(二の字点、1-2-22)(ゆる/\)と烟りを噴(は)き出し、思はず知らず太息(ためいき)吐いて、多分は良人(うち)の手に入るであらうが憎いのつそりめが対(むか)ふへ廻り、去年使ふてやつた恩も忘れ上人様に胡麻摺り込んで、強(たつ)て此度(こんど)の仕事を為(せ)うと身の分も知らずに願ひを上げたとやら、清吉の話しでは上人様に依怙贔屓(えこひいき)の御情(おこゝろ)はあつても、名さへ響かぬのつそりに大切(だいじ)の仕事を任せらるゝ事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しからうなれば、大丈夫此方(こち)に命(いひつ)けらるゝに極つたこと、よしまたのつそりに命けらるればとて彼奴(あれめ)に出来る仕事でもなく、彼奴の下に立つて働く者もあるまいなれば見事出来(でか)し損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人(うちのひと)が愈※(二の字点、1-2-22)御用命(いひつ)かつたと笑ひ顔して帰つて来られゝばよい、類の少い仕事だけに是非為て見たい受け合つて見たい、慾徳は何でも関はぬ、谷中(やなか)感応寺(かんおうじ)の五重塔は川越の源太が作り居つた、嗚呼よく出来した感心なと云はれて見たいと面白がつて、何日(いつ)になく職業(しやうばい)に気のはづみを打つて居らるゝに、若し此仕事を他に奪られたら何のやうに腹を立てらるゝか肝癪を起さるゝか知れず、それも道理であつて見れば傍(わき)から妾の慰めやうも無い訳、嗚呼何にせよ目出度う早く帰つて来られゝばよいと、口には出さねど女房気質、今朝背面(うしろ)から我が縫ひし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣ふところへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方が無い、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します、つい昨晩(ゆうべ)酔(へゞ)まして、と後は云はず異な手つきをして話せば、眉頭に皺をよせて笑ひながら、仕方のないも無いもの、少し締まるがよい、と云ひ/\立つて幾干(いくら)かの金を渡せば、其をもつて門口に出で何やら諄※(二の字点、1-2-22)(くど/\)押問答せし末此方(こなた)に来りて、拳骨で額を抑へ、何(どう)も済みませんでした、ありがたうござりまする、と無骨な礼を為たるも可笑(をかし)。

其二

火は別にとらぬから此方(こち)へ寄るがよい、と云ひながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩(めした)にも如才なく愛嬌を汲んで与(や)る桜湯一杯、心に花のある待遇(あしらひ)は口に言葉の仇繁きより懐かしきに、悪い請求(たのみ)をさへすらりと聴て呉れし上、胸に蟠屈(わだかま)りなく淡然(さつぱり)と平日(つね)のごとく仕做(しな)されては、清吉却つて心羞(うらはづ)かしく、何(どう)やら魂魄(たましひ)の底の方がむづ痒いやうに覚えられ、茶碗取る手もおづ/\として進みかぬるばかり、済みませぬといふ辞誼(じぎ)を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切つたる舌を湿す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホヽ、遊ぶはよけれど職業(しごと)の間(ま)を欠いて母親(おふくろ)に心配さするやうでは、男振が悪いではないか清吉、汝(そなた)は此頃仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられて居るではないか、良人(うち)のも遊ぶは随分好で汝達の先に立つて騒ぐは毎※(二の字点、1-2-22)なれど、職業(しごと)を粗略(おろそか)にするは大の嫌ひ、今若し汝の顔でも見たらば又例の青筋を立つるに定つて居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなつたれど母親(おふくろ)の持病が起つたとか何とか方便は幾干でもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三(ごさ)様も了(わか)つた人なれば一日をふてゝ怠惰(なまけ)ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護(かば)ふて呉るゝであらう、おゝ朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらへよ、湯豆腐に蛤鍋(はまなべ)とは行かぬが新漬に煮豆でも構はぬはのう、二三杯かつこんで直と仕事に走りやれ走りやれ、ホヽ睡くても昨夜をおもへば堪忍(がまん)の成らうに精を惜むな辛防せよ、よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど効験(きゝめ)ある薬の行きとゞいた意見に、汗を出して身の不始末を慚(は)づる正直者の清吉。

姉御、では御厄介になつて直に仕事に突走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き/\勝手の方に立つたかとおもへば、既(もう)ざら/\ざらつと口の中へ打込む如く茶漬飯五六杯、早くも食ふて了つて出て来り、左様なら行つてまゐります、と肩ぐるみに頭をついと一ツ下げて煙草管(きせる)を収め、壺屋の煙草入(りやうさげ)三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質、草履つつかけ門口出づる、途端に今まで黙つて居たりし女は急に呼びとめて、此二三日にのつそり奴(め)に逢ふたか、と石から飛んで火の出し如く声を迸(はし)らし問ひかくれば、清吉ふりむいて、逢ひました逢ひました、しかも昨日御殿坂で例ののつそりがひとしほのつそりと、往生した鶏(とり)のやうにぐたりと首を垂れながら歩行(ある)いて居るを見かけましたが、今度此方の棟梁の対岸(むかう)に立つてのつそりの癖に及びも無い望みをかけ、大丈夫ではあるものゝ幾干か棟梁にも姉御にも心配をさせる其面が憎くつて面が憎くつて堪りませねば、やいのつそりめと頭から毒を浴びせて呉れましたに、彼奴の事故気がつかず、やいのつそりめ、のつそりめと三度めには傍へ行つて大声で怒鳴つて遣りましたれば漸く吃驚して梟(ふくろ)に似た眼で我(ひと)の顔を見詰め、あゝ清吉あーにーいかと寝惚声の挨拶、やい、汝(きさま)は大分好い男児(をとこ)になつたの、紺屋(こうや)の干場へ夢にでも上(のぼ)つたか大層高いものを立てたがつて感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むといふ話しだが、其は正気の沙汰か寝惚けてかと冷語(ひやかし)を驀向(まつかう)から与(や)つたところ、ハヽヽ姉御、愚鈍(うすのろ)い奴といふものは正直ではありませんか、何と返事をするかとおもへば、我(わし)も随分骨を折つて胡麻は摺つて居るが、源太親方を対岸に立てゝ居るので何(どう)も胡麻が摺りづらくて困る、親方がのつそり汝(きさま)為(やつ)て見ろよと譲つて呉れゝば好いけれどものうとの馬鹿に虫の好い答へ、ハヽヽ憶ひ出しても、心配相に大真面目くさく云つた其面が可笑くて堪りませぬ、余り可笑いので憎気(にくつけ)も無くなり、箆棒(べらぼう)めと云ひ捨てに別れましたが。 其限(それぎ)りか。 然(へい)。 左様かへ、さあ遅くなる、関はずに行くがよい。 左様ならと清吉は自己(おの)が仕事におもむきける、後はひとりで物思ひ、戸外(おもて)では無心の児童(こども)達が独楽戦(こまあて)の遊びに声※(二の字点、1-2-22)喧しく、一人殺しぢや二人殺しぢや、醜態(ざま)を見よ讐(かたき)をとつたぞと号(わめ)きちらす。 おもへばこれも順※(二の字点、1-2-22)競争(がたき)の世の状(さま)なり。

其三

世に栄え富める人※(二の字点、1-2-22)は初霜月の更衣(うつりかへ)も何の苦慮(くるしみ)なく、紬に糸織に自己(おの)が好き/″\の衣(きぬ)着て寒さに向ふ貧者の心配も知らず、やれ炉開きぢや、やれ口切ぢや、それに間に合ふやう是非とも取り急いで茶室成就(しあげ)よ待合の庇廂(ひさし)繕へよ、夜半のむら時雨も一服やりながらで無うては面白く窓撲つ音を聞き難しとの贅沢いふて、木枯凄じく鐘の音氷るやうなつて来る辛き冬をば愉快(こゝろよ)いものかなんぞに心得らるれど、其茶室の床板(とこいた)削りに鉋(かんな)礪(と)ぐ手の冷えわたり、其庇廂の大和がき結ひに吹きさらされて疝癪も起すことある職人風情は、何(どれ)ほどの悪い業を前の世に為し置きて、同じ時候に他とは違ひ悩め困(くるし)ませらるゝものぞや、取り分け職人仲間の中でも世才に疎く心好き吾夫(うちのひと)、腕は源太親方さへ去年いろ/\世話して下されし節(をり)に、立派なものぢやと賞められし程確実(たしか)なれど、寛濶(おうやう)の気質(きだて)故に仕事も取り脱(はぐ)り勝で、好い事は毎※(二の字点、1-2-22)(いつも)他(ひと)に奪られ年中嬉しからぬ生活(くらし)かたに日を送り月を迎ふる味気無さ、膝頭の抜けたを辛くも埋め綴つた股引ばかり我が夫に穿かせ置くこと、婦女(をんな)の身としては他人(よそ)の見る眼も羞づかしけれど、何にも彼も貧が為(さ)する不如意に是非のなく、今ま縫ふ猪之が綿入れも洗ひ曝した松坂縞、丹誠一つで着させても着させ栄えなきばかりでなく見とも無いほど針目勝ち、それを先刻は頑是ない幼心といひながら、母様其衣(それ)は誰がのぢや、小いからは我(おれ)の衣服(べゞ)か、嬉いのうと悦んで其儘戸外(おもて)へ駈け出し、珍らしう暖い天気に浮かれて小竿持ち、空に飛び交ふ赤蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)(あかとんぼ)を撲(はた)いて取らうと何処の町まで行つたやら、嗚呼考へ込めば裁縫(しごと)も厭気になつて来る、せめて腕の半分も吾夫(うちのひと)の気心が働いて呉れたならば斯も貧乏は為まいに、技倆(わざ)はあつても宝の持ち腐れの俗諺(たとへ)の通り、何日(いつ)其手腕(うで)の顕れて万人の眼に止まると云ふことの目的(あて)もない、たゝき大工穴鑿(あなほ)り大工、のつそりといふ忌※(二の字点、1-2-22)しい諢名さへ負せられて同業中(なかまうち)にも軽しめらるゝ歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾が思ふには似ず平気なが憎らしい程なりしが、今度はまた何した事か感応寺に五重塔の建つといふ事聞くや否や、急にむら/\と其仕事を是非為(す)る気になつて、恩のある親方様が望まるゝをも関はず胴慾に、此様な身代の身に引き受けうとは、些(ちと)えら過ぎると連添ふ妾でさへ思ふものを、他人は何んと噂さするであらう、ましてや親方様は定めし憎いのつそりめと怒つてござらう、お吉(きち)様は猶ほ更ら義理知らずの奴めと恨んでござらう、今日は大抵何方(どちら)にか任すと一言上人様の御定めなさる筈とて、今朝出て行かれしが未だ帰られず、何か今度の仕事だけは彼程吾夫は望んで居らるゝとも此方は分に応ぜず、親方には義理もあり旁(かたが)た親方の方に上人様の任さるればよいと思ふやうな気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫に為せて見事成就させたいやうな気持もする、ゑゝ気の揉める、何なる事か、到底(とても)良人(うち)には御任せなさるまいが若もいよ/\吾夫の為る事になつたら、何の様にまあ親方様お吉様の腹立てらるゝか知れぬ、あゝ心配に頭脳(あたま)の痛む、また此が知れたらば女の要らぬ無益(むだ)心配、其故何時も身体の弱いと、有情(やさし)くて無理な叱言(こゞと)を受くるであらう、もう止めましよ止めましよ、あゝ痛、と薄痘痕(うすいも)のある蒼い顔を蹙(しか)めながら即効紙の貼つてある左右の顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)(こめかみ)を、縫ひ物捨てゝ両手で圧へる女の、齢は二十五六、眼鼻立ちも醜からねど美味(うま)きもの食はぬに膩気(あぶらけ)少く肌理(きめ)荒れたる態あはれにて、襤褸衣服(ぼろぎもの)にそゝけ髪ます/\悲しき風情なるが、つく/″\独り歎ずる時しも、台所の劃(しき)りの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之が云ふに吃驚して、汝は何時から其所に居た、と云ひながら見れば、四分板六分板の切端を積んで現然(あり/\)と真似び建てたる五重塔、思はず母親涙になつて、おゝ好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之に抱きつきぬ。

其四

当時に有名(なうて)の番匠川越の源太が受負ひて作りなしたる谷中感応寺の、何処に一つ批点を打つべきところ有らう筈なく、五十畳敷格天井(がうてんじやう)の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつ)かの客殿、大和尚が居室(ゐま)、茶室、学徒所化(しよけ)の居るべきところ、庫裡(くり)、浴室、玄関まで、或は荘厳を尽し或は堅固を極め、或は清らかに或は寂(さ)びて各※(二の字点、1-2-22)其宜しきに適ひ、結構少しも申し分なし。 そも/\微※(二の字点、1-2-22)たる旧基を振ひて箇程(かほど)の大寺を成せるは誰ぞ。 法諱(おんな)を聞けば其頃の三歳児(みつご)も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(びばしやな)の三行に寂静(じやくじやう)の慧劒(ゑけん)を礪(と)ぎ、四種の悉檀(しつたん)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶(くんせん)を避くるによつて鶴の如くに痩せ、眼(まなこ)は人世の紛紜に厭きて半睡れるが如く、固より壊空(ゑくう)の理を諦(たい)して意欲の火炎(ほのほ)を胸に揚げらるゝこともなく、涅槃(ねはん)の真を会(ゑ)して執着の彩色(いろ)に心を染まさるゝことも無ければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕ひ風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、其等のものが雨露凌がん便宜(たより)も旧(もと)のまゝにては無くなりしまゝ、猶少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんと云ひ玉ふぞと、此事八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧(りこう)なるが自ら奮つて四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演(の)べ説き聞かし富豪を慫慂(すゝ)めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素(ひごろ)より随喜渇仰の思ひを運べるもの雲霞の如きに此勢をもつてしたれば、上諸侯より下町人まで先を争ひ財を投じて、我一番に福田(ふくでん)へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川(ひやくせん)海に入るごとく瞬く間(ひま)に金銭の驚かるゝほど集りけるが、それより世才に長(た)けたるものの世話人となり用人なり、万事万端執り行ふて頓(やが)て立派に成就しけるとは、聞いてさへ小気味のよき話なり。

然るに悉皆(しつかい)成就の暁、用人頭の爲右衞門普請諸入用諸雑費一切しめくゝり、手脱(てぬか)る事なく決算したるに尚大金の剰(あま)れるあり。 此をば如何になすべきと役僧の圓道もろとも、髪ある頭に髪無き頭突き合はせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買はんか畠買はんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更また此浄財を其様な事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり好(よき)に計らへと皺枯れたる御声にて云ひたまはんは知れてあれど、恐る/\圓道或時、思さるゝ用途(みち)もやと伺ひしに、塔を建てよと唯一言云はれし限(ぎ)り振り向きも為たまはず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙※(二の字点、1-2-22)と読み続けられけるが、いよ/\塔の建つに定つて例の源太に、積り書出せと圓道が命令(いひつ)けしを、知つてか知らずに歟(か)上人様に御目通り願ひたしと、のつそりが来しは今より二月程前なりし。

其五

紺とはいへど汗に褪め風に化(かは)りて異な色になりし上、幾度か洗ひ濯(すゝ)がれたるため其としも見えず、襟の記印(しるし)の字さへ朧気となりし絆纏を着て、補綴(つぎ)のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は塵埃(ほこり)に塗(まみ)れて白け、面は日に焼けて品格(ひん)なき風采(やうす)の猶更品格なきが、うろ/\のそ/\と感応寺の大門を入りにかゝるを、門番尖り声で何者ぞと怪み誰何(たゞ)せば、吃驚して暫時(しばらく)眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衞と申しまする、御普請につきまして御願に出ました、とおづ/\云ふ風態(そぶり)の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使ひに来りしものならむと推察(すゐ)して、通れと一言押柄(あふへい)に許しける。

十兵衞これに力を得て、四方(あたり)を見廻はしながら森厳(かう/″\)しき玄関前にさしかゝり、御頼申(おたのまを)すと二三度いへば鼠衣の青黛頭(せいたいあたま)、可愛らしき小坊主の、応(おゝ)と答へて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼捷(ばや)く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無(つれな)く云ひ捨てゝ障子ぴつしやり、後は何方(どこ)やらの樹頭(き)に啼く鵯(ひよ)の声ばかりして音もなく響きもなし。 成程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまはりて復案内を請へば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、何所(いづく)より何の用事で見えられた、と衣服(みなり)の粗末なるに既(はや)侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衞さらに気にもとめず、野生(わたくし)は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願ひをいたしたい事のあつてまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首(かうべ)を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き頭上(あたま)より白の鼻緒の鼠色になつた草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねど云ふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と然(さ)も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。 それを無頓着の男の質朴(ぶきよう)にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直※(二の字点、1-2-22)で無うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒たゞ御取次を願ひまする、と此方の心が醇粋(いつぽんぎ)なれば先方(さき)の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言へば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて慍(いか)りを含み、理(わけ)の解らぬ男ぢやの、上人様は汝(きさま)ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも無益(むやく)なれば我が計ふて得させんと、甘く遇(あしら)へば附上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態(つね)とて語気たちまち粗暴(あら)くなり、謬(にべ)なく言ひ捨て立んとするに周章(あわ)てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いふ間なく、五月蠅、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞ふて茫然(ぼんやり)と土間に突立つたまゝ掌(て)の裏(うち)の螢に脱去(ぬけ)られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげて復案内を乞ふに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の岑閑(しんかん)と、反響(ひゞき)のみは我が耳に堕ち来れど咳声(しはぶき)一つ聞えず、玄関にまはりて復頼むといへば、先刻(さき)見たる憎気な怜悧小僧(こばうず)の一寸顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語(つぶや)きて早くも障子ぴしやり。

復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、其声(それ)より大(でか)き声を発(いだ)して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕(をとこ)ども此狂漢(きちがひ)を門外に引き出せ、騒※(二の字点、1-2-22)しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人(をとこ)部屋に転がり居し寺僕(をとこ)等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。 それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口※(二の字点、1-2-22)に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝剪(はさ)んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遥されし朗圓上人、木蘭色(もくらんじき)の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗(しゆ)の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。

其六

何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩(ともがら)鳴りを歇(とゞ)めて、振り上げし拳を蔵(かく)すに地(ところ)なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の折(くだ)けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁(きまり)悪げに下して狐鼠※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)(こそ/\)と人の後に隠るゝもあり。 天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚(は)ぢてや首を俛(た)れ掌(て)を揉みながら、自己(おのれ)が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕(つ)いたる法令の皺溝(すぢ)をひとしほ深めて、につたりと徐(ゆるや)かに笑ひたまひ、婦女(をんな)のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門汝(そなた)がたゞ従順(すなほ)に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら老衲(わし)について此方へ可来(おいで)、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に尊敬(うやま)ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和(ものやさ)しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とゞめあへぬ十兵衞、段※(二の字点、1-2-22)と赤土のしつとりとしたるところ、飛石の画趣(ゑごゝろ)に布(しか)れあるところ、梧桐の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど※(「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)(めぐ)り繞(めぐ)り過ぎて、小(さゝ)やかなる折戸を入れば、花も此といふはなき小庭の唯ものさびて、有楽形(うらくがた)の燈籠に松の落葉の散りかゝり、方星宿(はうせいしゆく)の手水鉢に苔の蒸せるが見る眼の塵をも洗ふばかりなり。

上人庭下駄脱ぎすてゝ上にあがり、さあ汝(そなた)も此方へ、と云ひさして掌に持たれし花を早速(さそく)に釣花活に投げこまるゝにぞ、十兵衞なか/\怯(おめ)ず臆せず、手拭で足はたくほどの事も気のつかぬ男とて為すことなく、草履脱いでのつそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突合はすまで上人に近づき坐りて黙※(二の字点、1-2-22)と一礼する態は、礼儀に嫻(なら)はねど充分に偽飾(いつはり)なき情(こゝろ)の真実(まこと)をあらはし、幾度か直にも云ひ出んとして尚開きかぬる口を漸くに開きて、舌の動きもたど/\しく、五重の塔の、御願に出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したやうに尻もつたてゝ声の調子も不揃に、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗と共に絞り出せば、上人おもはず笑を催され、何か知らねど老衲(わし)をば怖いものなぞと思はず、遠慮を忘れて緩(ゆる)りと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずに居た様子では、何か深う思ひ詰めて来たことであらう、さあ遠慮を捨てゝ急かずに、老衲をば朋友(ともだち)同様におもふて話すがよい、と飽くまで慈(やさ)しき注意(こゝろぞへ)。 十兵衞脆くも梟と常※(二の字点、1-2-22)悪口受くる銅鈴眼(すゞまなこ)に既(はや)涙を浮めて、唯(はい)、唯、唯ありがたうござりまする、思ひ詰めて参上(まゐ)りました、その五重の塔を、斯様いふ野郎でござります、御覧の通り、のつそり十兵衞と口惜い諢名(あだな)をつけられて居る奴(やつこ)でござりまする、然し御上人様、真実(ほんと)でござりまする、工事(しごと)は下手ではござりませぬ、知つて居ります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされて居ります、意気地の無い奴でござります、虚誕(うそ)はなか/\申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、大隅流(おほすみりう)は童児(こども)の時から、後藤立川二ツの流義も合点致して居りまする、為(さ)せて、五重塔の仕事を私に為せていたゞきたい、それで参上(まゐり)ました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寐ませぬは、御上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩を受けて居ります源太様の仕事を奪(と)りたくはおもひませぬが、あゝ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様は為るゝ、死んでも立派に名を残さるゝ、あゝ羨ましい羨ましい、大工となつて生てゐる生甲斐もあらるゝといふもの、それに引代へ此十兵衞は、鑿(のみ)手斧(てうな)もつては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るやうな事は必ず/\無いと思へど、年が年中長屋の羽目板(はめ)の繕ひやら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が智慧といふものを我(おれ)には賜(くだ)さらない故仕方が無いと諦めて諦めても、拙(まづ)い奴等が宮を作り堂を受負ひ、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造(こしら)へたを見るたびごとに、内※(二の字点、1-2-22)自分の不運を泣きますは、御上人様、時※(二の字点、1-2-22)は口惜くて技倆(うで)もない癖に智慧ばかり達者な奴が憎くもなりまするは、御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれば手腕(うで)も達者、あゝ羨ましい仕事をなさるか、我(おれ)はよ、源太様はよ、情無い此我はよと、羨ましいがつひ高(かう)じて女房(かゝ)にも口きかず泣きながら寐ました其夜の事、五重塔を汝(きさま)作れ今直つくれと怖しい人に吩咐(いひつ)けられ、狼狽(うろたへ)て飛び起きさまに道具箱へ手を突込んだは半分夢で半分現(うつゝ)、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿(つばのみ)につつかけて怪我をしながら道具箱につかまつて、何時の間にか夜具の中から出て居た詰らなさ、行燈(あんどん)の前につくねんと坐つて嗚呼情無い、詰らないと思ひました時の其心持、御上人様、解りまするか、ゑゝ、解りまするか、これだけが誰にでも分つて呉れゝば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのつそり十兵衞は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸(のこ)のやうに生て居たくもないのですは、其夜(それ)からといふものは真実(ほんと)、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光(あかり)の達(とゞ)かぬ室(へや)の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬつと突立つて私を見下して居りまするは、とう/\自分が造りたい気になつて、到底(とても)及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来て仕たい仕事は出来ない口惜さ、ゑゝ不運ほど情無いものはないと私(わし)が歎けば御上人様、なまじ出来ずば不運も知るまいと女房(かゝ)めが其雛形(それ)をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました、御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こゝ此通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。

其七

木彫の羅漢のやうに黙※(二の字点、1-2-22)と坐りて、菩提樹の実の珠数(ずゞ)繰りながら十兵衞が埓なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて、了解(わか)りました、能く合点が行きました、あゝ殊勝な心掛を持つて居らるゝ、立派な考へを蓄へてゐらるゝ、学徒どもの示しにも為たいやうな、老衲(わし)も思はず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう、然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事(しごと)を汝に任するはと、軽忽(かるはずみ)なことを老衲の独断(ひとりぎめ)で云ふ訳にもならねば、これだけは明瞭(はつきり)とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立つて、老衲からではなく感応寺から沙汰を為ませう、兎も角も幸ひ今日は閑暇(ひま)のあれば汝が作つた雛形を見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行ては呉れぬか、と毫(すこし)も辺幅(やうだい)を飾らぬ人の、義理(すぢみち)明かに言葉渋滞(しぶり)なく云ひたまへば、十兵衞満面に笑を含みつゝ米舂(つ)くごとく無暗に頭を下げて、唯(はい)、唯、唯と答へ居りしが、願ひを御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、野生(わたくし)の宅(うち)へ御来臨(おいで)下さりますると、あゝ勿体ない、雛形は直に野生めが持つてまゐりまする、御免下され、と云ひさま流石ののつそりも喜悦に狂して平素(つね)には似ず、大袈裟に一つぽつくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰つたと一言女房にも云はず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟(よく)視(み)たまふに、初重より五重までの配合(つりあひ)、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木(たるき)の割賦(わりふり)、九輪請花露盤宝珠(くりんうけばなろばんはうじゆ)の体裁まで何所に可厭(いや)なるところもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるゝほど巧緻(たくみ)なれば、独り私(ひそか)に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼(わきめ)にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あはれ如是(かゝる)ものに成るべきならば功名(てがら)を得させて、多年抱ける心願(こゝろだのみ)に負(そむ)かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁仮和合(いんねんけわがふ)、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令(たとへ)ば木匠(こだくみ)の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概(あらまし)は忘れ卑劣(きたな)き念(おもひ)も起さず、唯只鑿をもつては能く穿(ほ)らんことを思ひ、鉋(かんな)を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比(たぐ)へ難きを、僅に残す便宜(よすが)も無くて徒らに北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)(ほくばう)の土に没(うづ)め、冥途(よみぢ)の苞(つと)と齎し去らしめんこと思へば憫然(あはれ)至極なり、良馬主(しゆう)を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異(かは)ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度(こたび)の工事を彼に命(いひつ)け、せめては少しの報酬(むくい)をば彼が誠実(まこと)の心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裏(くり)客殿作らせし因みもあり、然も設計予算(つもりがき)まで既(はや)做(な)し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕(うで)は彼とて鈍きにあらず、人の信用(うけ)は遥に十兵衞に超たり。 一ツの工事に二人の番匠、此にも為せたし彼にも為せたし、那箇(いづれ)にせんと上人も流石これには迷はれける。

其八

明日辰の刻頃までに自身当寺へ来るべし、予て其方工事仰せつけられたきむね願ひたる五重塔の儀につき、上人直接(ぢき)に御話示(おはなし)あるべきよしなれば、衣服等失礼なきやう心得て出頭せよと、厳格(おごそか)に口上を演ぶるは弁舌自慢の圓珍とて、唐辛子をむざと嗜(たしな)み食(くら)へる祟り鼻の頭(さき)にあらはれたる滑稽納所(おどけなつしよ)。 平日(ふだん)ならば南蛮和尚といへる諢名を呼びて戯談口きゝ合ふべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しより自然(おのづ)と狎(な)れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしう威儀をつくろひて、人さし指中指の二本でやゝもすれば兜背形(とつぱいなり)の頭顱(あたま)の頂上(てつぺん)を掻く癖ある手をも法衣(ころも)の袖に殊勝くさく隠蔽(かく)し居るに、源太も敬ひ謹んで承知の旨を頭下つゝ答へけるが、如才なきお吉は吾夫をかゝる俗僧(づくにふ)にまで好く評(い)はせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に幾干銭(いくら)か包み込み、是非にといふて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。 圓珍十兵衞が家にも詣(いた)りて同じ事を演べ帰りけるが、扨(さて)其翌日となれば源太は鬚(ひげ)剃り月代(さかやき)して衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せつけらるゝなるべけれと勢込んで、庫裏より通り、とある一ト間に待たされて坐を正しくし扣(ひか)へける。

態(さま)こそ異れ十兵衞も心は同じ張を有ち、導かるゝまゝ打通りて、人気の無きに寒さ湧く一室(ひとま)の中に唯一人兀然(つくねん)として、今や上人の招びたまふか、五重の塔の工事(しごと)一切汝に任すと命令(いひつけ)たまふか、若し又我には命じたまはず源太に任すと定めたまひしを我にことわるため招ばれしか、然(さう)にもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木の我が身の末に花咲かむ頼みも永く無くなるべし、唯願はくは上人の我が愚※(おろか)[#「(章+夂/貢)/心」、66-上-14]しきを憐みて我に命令たまはむことをと、九尺二枚の唐襖に金鳳銀凰(きんほうぎんわう)翔(かけ)り舞ふ其箔模様の美しきも眼に止めずして、茫※(二の字点、1-2-22)と暗路(やみぢ)に物を探るごとく念想(おもひ)を空に漂はすこと良(やゝ)久しきところへ、例の怜悧気な小僧(こばうず)いで来りて、方丈さまの召しますほどに此方へおいでなされまし、と先に立つて案内すれば、素破(すは)や願望(のぞみ)の叶ふとも叶はざるとも定まる時ぞと魯鈍(おろか)の男も胸を騒がせ、導かるゝまゝ随ひて一室の中へずつと入る、途端に此方をぎろりつと見る眼鋭く怒を含むで斜に睨むは思ひがけなき源太にて、座に上人の影もなし。

序章-章なし
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五重塔 - 情報

五重塔

ごじゅうのとう

文字数 54,055文字

著者リスト:
著者:幸田 露伴

底本 日本現代文學全集 6 幸田露伴集

青空情報


底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「国会新聞」
   1891(明治24)年11月〜1892(明治25)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年11月3日作成
2009年7月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:五重塔

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