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トロッコ

著者:芥川龍之介

トロッコ - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:4,325 底本発行年:1968
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著者芥川 竜之介
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序章-章なし

小田原熱海あたみ間に、軽便鉄道敷設ふせつの工事が始まったのは、良平りょうへいの八つの年だった。 良平は毎日村はずれへ、その工事を見物に行った。 工事を――といったところが、ただトロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。

トロッコの上には土工が二人、土を積んだうしろたたずんでいる。 トロッコは山をくだるのだから、人手を借りずに走って来る。 あおるように車台が動いたり、土工の袢天はんてんすそがひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきをながめながら、土工になりたいと思う事がある。 せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。 トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処そこに止まってしまう。 と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。 それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。 良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。

ある夕方、――それは二月の初旬だった。 良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。 トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。 が、そのほか何処どこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。 三人の子供は恐る恐る、一番はしにあるトロッコを押した。 トロッコは三人の力がそろうと、突然ごろりと車輪をまわした。 良平はこの音にひやりとした。 しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。 ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。

その内にかれこれ十けん程来ると、線路の勾配こうばいが急になり出した。 トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。 どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。 良平はもういと思ったから、年下の二人に合図をした。

「さあ、乗ろう!」

彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。 トロッコは最初おもむろに、それから見る見るいきおいよく、一息に線路をくだり出した。 その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。 顔に当る薄暮はくぼの風、足の下におどるトロッコの動揺、――良平はほとん有頂天うちょうてんになった。

しかしトロッコは二三分ののち、もうもとの終点に止まっていた。

「さあ、もう一度押すじゃあ」

良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。 が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等のうしろには、誰かの足音が聞え出した。 のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。

「この野郎! 誰にことわってトロにさわった?」

其処には古い印袢天しるしばんてんに、季節外れの麦藁帽むぎわらぼうをかぶった、背の高い土工が佇んでいる。 ――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。 ――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。 唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。

序章-章なし
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トロッコ - 情報

トロッコ

トロッコ

文字数 4,325文字

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底本 蜘蛛の糸・杜子春

青空情報


底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年11月15日発行
   1984(昭和59)年12月25日38刷改版
   1989(平成元)年5月30日46刷
入力:蒋龍
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:トロッコ

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