• URLをコピーしました!

アグニの神

著者:芥川龍之介

アグニのかみ - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:7,921 底本発行年:1968
著者リスト:
著者芥川 竜之介
0
0
0


序章-章なし

支那シナ上海シャンハイある町です。 昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度インド人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加アメリカ人と何かしきりに話し合っていました。

「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」

亜米利加人はそう言いながら、新しい巻煙草まきたばこへ火をつけました。

「占いですか? 占いは当分見ないことにしましたよ」

婆さんはあざけるように、じろりと相手の顔を見ました。

「この頃は折角見て上げても、御礼さえろくにしない人が、多くなって来ましたからね」

「そりゃ勿論もちろん御礼をするよ」

亜米利加人は惜しげもなく、三百ドルの小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。

「差当りこれだけ取って置くさ。 もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」

婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想あいそがよくなりました。

「こんなに沢山頂いては、かえって御気の毒ですね。 ――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」

わたしが見てもらいたいのは、――」

亜米利加人は煙草をくわえたなり、狡猾こうかつそうな微笑を浮べました。

「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。 それさえちゃんとわかっていれば、我々商人はたちまちの内に、大金儲おおがねもうけが出来るからね」

「じゃ明日あしたいらっしゃい。 それまでに占って置いて上げますから」

「そうか。 じゃ間違いのないように、――」

印度人の婆さんは、得意そうに胸をらせました。

「私の占いは五十年来、一度もはずれたことはないのですよ。 何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね」

亜米利加人が帰ってしまうと、婆さんは次のの戸口へ行って、

恵蓮えれん 恵蓮」と呼び立てました。

その声に応じて出て来たのは、美しい支那人の女の子です。 が、何か苦労でもあるのか、この女の子のしもぶくれのほおは、まるでろうのような色をしていました。

「何を愚図々々ぐずぐずしているんだえ? ほんとうにお前位、ずうずうしい女はありゃしないよ。 きっと又台所で居睡いねむりか何かしていたんだろう?」

恵蓮はいくらしかられても、じっと俯向うつむいたまま黙っていました。

「よくお聞きよ。 今夜は久しぶりにアグニの神へ、御伺いを立てるんだからね、そのつもりでいるんだよ」

女の子はまっ黒な婆さんの顔へ、悲しそうな眼をげました。

「今夜ですか?」

「今夜の十二時。

序章-章なし
━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

アグニの神 - 情報

アグニの神

アグニのかみ

文字数 7,921文字

著者リスト:

底本 蜘蛛の糸・杜子春

青空情報


底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年11月15日発行
   1989(平成元)年5月30日46刷
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:アグニの神

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!