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狂人日記

著者:魯迅

きょうじんにっき - ろじん

文字数:8,102 底本発行年:1932
著者リスト:
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅
底本: 魯迅全集
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序章-章なし

某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。 先頃ふと大病たいびょうかかった者があると聞いて、故郷こきょうに帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。 病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。 これを見ると当時の病状がよくわかる。 旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目でたらめが多い。 日附ひづけは書いてないが墨色すみいろも書体も一様でないところを見ると、一に書いたものでないことが明らかで、間々まま聯絡れんらくがついている。 専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。 書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。 七年四月二日しるす。

今夜は大層月の色がいい。

乃公おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分がことほかサッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。 それにしても用心するに越したことはない。 もし用心しないでいいのなら、あの趙家ちょうけの犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。

乃公が恐れるわけがある。

今夜はまるきり月の光が無い。 乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁ちょうじいさん目付めつきがおかしいぞ。 乃公を恐れているらしい。 乃公をやっつけようと思っているらしい。 ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著くっつけて乃公の噂をしている。 乃公に見られるのを恐れている。 往来の人は皆そんな風だ。 中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。 乃公は頭の天辺てっぺんから足の爪先つまさきまでひいやりとした。 解った。 彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。 乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。 目付は趙貴翁と酷似そっくりで、顔色は皆鉄青てっせいだ。 一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。 とてもたまったものじゃない。 大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。

乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。 往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。 そうだ。 二十年前、古久こきゅう先生の古帳面ふるちょうめんを踏み潰したことがある。 あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合しりあいでないから、定めてあの話を聞伝ききつたえて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。 だが子供等は一体どういうわけだえ。 あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。

序章-章なし
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狂人日記 - 情報

狂人日記

きょうじんにっき

文字数 8,102文字

著者リスト:
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅

底本 魯迅全集

青空情報


底本:「魯迅全集」改造社
   1932(昭和7)年11月18日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「彼奴→あいつ 貴郎→あなた 或→ある・あるい(は) 如何なる→いかなる 〜戴く→〜いただく 一体→いったい 〜置→〜お 恐らく→おそらく か知ら→かしら 屹度→きっと 位→くらい 〜呉れ→くれ 此奴→こいつ 殊更→ことさら 此間→こないだ 此→この 〜御覧→〜ごらん 偖て→さて 〜仕舞う→〜しまう 〜知れない→〜しれない 頗る→すこぶる 折角→せっかく 其(の)→その 大分→だいぶ 沢山→たくさん 只→ただ 忽ち→たちまち 〜給え→〜たまえ 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 何処→どこ 迚も→とても 中々→なかなか 筈→はず 只管→ひたすら 程→ほど 正に・将に→まさに 況して→まして 先ず→まず 又、亦→また 未だ→まだ 丸切り→まるきり 丸で→まるで 萬更→まんざら 〜見た→〜みた 若し→もし 〜貰う→〜もらう 矢張(り)→やはり 僅に→わずかに」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(上村要)
校正:京都大学電子テクスト研究会(高柳典子)
2004年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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