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葬られたる秘密

原題:A DEAD SECRET

著者:小泉八雲 Lafcadio Hearn

ほうむられたるひみつ - こいずみ やくも

文字数:2,145 底本発行年:1937
著者リスト:
著者小泉 八雲
翻訳者戸川 明三
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序章-章なし

むかし丹波の国に稻村屋源助という金持ちの商人が住んでいた。 この人にお園という一人の娘があった。 お園は非常に怜悧で、また美人であったので、源助は田舎の先生の教育だけで育てる事を遺憾に思い、信用のある従者をつけて娘を京都にやり、都の婦人達の受ける上品な芸事を修業させるようにした。 こうして教育を受けて後、お園は父の一族の知人――ながらやと云う商人にかたづけられ、ほとんど四年の間その男と楽しく暮した。 二人の仲には一人の子――男の子があった。 しかるにお園は結婚後四年目に病気になり死んでしまった。

その葬式のあった晩にお園の小さい息子は、お母さんが帰って来て、二階のお部屋に居たよと云った。 お園は子供を見て微笑んだが、口を利きはしなかった。 それで子供は恐わくなって逃げて来たと云うのであった。 そこで、一家の内の誰れ彼れが、お園のであった二階の部屋に行ってみると、驚いたことには、その部屋にある位牌の前にともされた小さい灯明の光りで、死んだ母なる人の姿が見えたのである。 お園は箪笥すなわち抽斗になっている箱の前に立っているらしく、その箪笥にはまだお園の飾り道具や衣類が入っていたのである。 お園の頭と肩とはごく瞭然はっきり見えたが、腰から下は姿がだんだん薄くなって見えなくなっている――あたかもそれが本人の、はっきりしない反影のように、また、水面における影の如く透き通っていた。

それで人々は、恐れを抱き部屋を出てしまい、下で一同集って相談をしたところ、お園の夫の母の云うには『女というものは、自分の小間物が好きなものだが、お園も自分のものに執著していた。 たぶん、それを見に戻ったのであろう。 死人でそんな事をするものもずいぶんあります――その品物が檀寺にやられずにいると。 お園の著物や帯もお寺へ納めれば、たぶん魂も安心するであろう』

で、出来る限り早く、この事を果すという事に極められ、翌朝、抽斗をからにし、お園の飾り道具や衣裳はみな寺に運ばれた。 しかしお園はつぎの夜も帰って来て、前の通り箪笥を見ていた。 それからそのつぎの晩も、つぎのつぎの晩も、毎晩帰って来た――ためにこの家は恐怖の家となった。

お園の夫の母はそこで檀寺に行き、住職に事の一伍一什を話し、幽霊の件について相談を求めた。 その寺は禅寺であって、住職は学識のある老人で、大玄和尚として知られていた人であった。 和尚の言うに『それはその箪笥の内か、またはその近くに、何か女の気にかかるものがあるに相違ない』老婦人は答えた――『それでも私共は抽斗をからにいたしましたので、箪笥にはもう何も御座いませんのです』――大玄和尚は言った『宜しい、では、今夜拙僧わたしが御宅へ上り、その部屋で番をいたし、どうしたらいいか考えてみるで御座ろう。 どうか、拙僧が呼ばる時の外は、誰れも番を致しておる部屋に、入らぬよう命じておいていただきたい』

日没後、大玄和尚はその家へ行くと、部屋は自分のために用意が出来ていた。 和尚は御経を読みながら、そこにただ独り坐っていた。 が、子の刻過ぎまでは、何も顕れては来なかった。 しかし、その刻限が過ぎると、お園の姿が不意に箪笥の前に、いつとなく輪廓を顕した。 その顔は何か気になると云った様子で、両眼をじっと箪笥に据えていた。

和尚はかかる場合に誦するように定められてある経文を口にして、さてその姿に向って、お園の戒名を呼んで話しかけた『拙僧わたし貴女あなたのお助けをするために、ここに来たもので御座る。 定めしその箪笥の中には、貴女の心配になるのも無理のない何かがあるのであろう。 貴女のために私がそれを探し出して差し上げようか』影は少し頭を動かして、承諾したらしい様子をした。 そこで和尚は起ち上り、一番上の抽斗を開けてみた。 が、それは空であった。 つづいて和尚は、第二、第三、第四の抽斗を開けた――抽斗の背後うしろや下を気をつけて探した――箱の内部を気をつけて調べてみた。 が何もない。 しかしお園の姿は前と同じように、気にかかると云ったようにじっと見つめていた。 『どうしてもらいたいと云うのかしら?』と和尚は考えた。 が、突然こういう事に気がついた。 抽斗の中を張ってある紙の下に何か隠してあるのかもしれない。

序章-章なし
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葬られたる秘密 - 情報

葬られたる秘密

ほうむられたるひみつ

文字数 2,145文字

著者リスト:
著者小泉 八雲
翻訳者戸川 明三

底本 小泉八雲全集第八卷家庭版

青空情報


底本:「小泉八雲全集第八卷家庭版」第一書房
   1937(昭和12)年1月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「恰も→あたかも 何時→いつ 於ける→おける かも知れない→かもしれない 極く→ごく 此→この 然るに→しかるに 随分→ずいぶん 則ち→すなわち 其処→そこ 其→その 度い→たい 多分→たぶん て戴く→ていただく て居る→ている て置く→ておく て居る→ておる て見る→て見る て貰う→てもらう 処→ところ に居る→にいる 殆とんど→ほとんど 又→また」
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(天野まい)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:葬られたる秘密

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