夜長姫と耳男
著者:坂口安吾
よながひめとみみお - さかぐち あんご
文字数:27,276 底本発行年:1952
オレの親方はヒダ随一の名人とうたわれたタクミであったが、夜長の長者に招かれたのは、老病で死期の近づいた時だった。 親方は身代りにオレをスイセンして、
「これはまだ二十の若者だが、小さいガキのころからオレの膝元に育ち、特に仕込んだわけでもないが、オレが工夫の骨法は大過なく会得している奴です。
五十年仕込んでも、ダメの奴はダメのものさ。
きいていてオレが呆れてただ目をまるくせずにいられなかったほどの過分の言葉であった。
オレはそれまで親方にほめられたことは一度もなかった。 もっとも、誰をほめたこともない親方ではあったが、それにしても、この突然のホメ言葉はオレをまったく驚愕させた。 当のオレがそれほどだから、多くの古い弟子たちが親方はモウロクして途方もないことを口走ってしまったものだと云いふらしたのは、あながち嫉みのせいだけではなかったのである。
夜長の長者の使者アナマロも兄弟子たちの言い分に理があるようだと考えた。 そこでオレをひそかに別室へよんで、
「お前の師匠はモウロクしてあんなことを云ったが、まさかお前は長者の招きに進んで応じるほど向う見ずではあるまいな」
こう云われると、オレはムラムラと腹が立った。 その時まで親方の言葉を疑ったり、自分の腕に不安を感じていたのが一時に掻き消えて、顔に血がこみあげた。
「オレの腕じゃア不足なほど、夜長の長者は尊い人ですかい。 はばかりながら、オレの刻んだ仏像が不足だという寺は天下に一ツもない筈だ」
オレは目もくらみ耳もふさがり、叫びたてるわが姿をトキをつくる
のようだと思ったほどだ。
アナマロは苦笑した。
「相弟子どもと鎮守のホコラを造るのとはワケがちがうぞ。 お前が腕くらべをするのは、お前の師と並んでヒダの三名人とうたわれている青ガサとフル釜だぞ」
「青ガサもフル釜も、親方すらも怖ろしいと思うものか。 オレが一心不乱にやれば、オレのイノチがオレの造る寺や仏像に宿るだけだ」
アナマロはあわれんで溜息をもらすような面持であったが、どう思い直してか、オレを親方の代りに長者の邸へ連れていった。
「キサマは仕合せ者だな。 キサマの造った品物がオメガネにかなう筈はないが、日本中の男という男がまだ見ぬ恋に胸をこがしている夜長姫サマの御身ちかくで暮すことができるのだからさ。 せいぜい仕事を長びかせて、一時も長く逗留の工夫をめぐらすがよい。 どうせかなわぬ仕事の工夫はいらぬことだ」
道々、アナマロはこんなことを云ってオレをイラだたせた。
「どうせかなわぬオレを連れて行くことはありますまい」
「そこが虫のカゲンだな。 キサマは運のいい奴だ」
オレは旅の途中でアナマロに別れて幾度か立ち帰ろうと思った。 しかし、青ガサやフル釜と技を競う名誉がオレを誘惑した。 彼らを怖れて逃げたと思われるのが心外であった。 オレは自分に云いきかせた。
「一心不乱に、オレのイノチを打ちこんだ仕事をやりとげればそれでいいのだ。 目玉がフシアナ同然の奴らのメガネにかなわなくとも、それがなんだ。