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世界怪談名作集 03 スペードの女王

著者:プーシキン Alexander S Pushkin

せかいかいだんめいさくしゅう

文字数:27,350 底本発行年:1987
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序章-章なし

近衛騎兵のナルモヴの部屋で骨牌かるたの会があった。 長い冬の夜はいつか過ぎて、一同が夜食ツッペの食卓に着いた時はもう朝の五時であった。 勝負に勝った組はうまそうに食べ、負けた連中は気がなさそうに喰い荒らされた皿を見つめていた。 しかし、シャンパン酒が出ると、とにかくだんだんに活気づいて来て、勝った者も負けた者もみんなしゃべり出した。

「で、君はどうだったのだい、スーリン」と、主人公のナルモヴがいた。

「やあ、相変わらず取られたのさ。 僕はどうも運が悪いとあきらめているよ。 なにしろやっていることがミランドール(一種の骨牌戯)だし、いつも冷静にしているから、手違いのしようがないのだが、それでいて、しじゅう負けているのだからね」

「だって君は、一度も赤札に賭けようとしなかったじゃないか。 僕は君の強情にはおどろいてしまったよ」

「しかし君はヘルマンをどう思う」と、客の一人が若い工兵士官を指さしながら言った。 「この先生は生まれてから、かつて一枚の骨牌札も手にしたこともなければ、一度も賭けをしたこともないのに、朝の五時までこうしてここに腰をかけて、われわれの勝負を眺めているのだからな」

「人の勝負を見ているのが僕には大いに愉快なのだ」と、ヘルマンは言った。 「だが、僕は自分の生活に不必要な金を犠牲にすることが出来るような身分ではないからな」

「ヘルマンはドイツ人である。 それだから彼は経済家である。 ……それでちゃんと分かっているじゃあないか」と、トムスキイが批評をくだした。 「しかし、ここに僕の不可解な人物が一人ある。 僕の祖母アンナ・フェドトヴナ伯爵夫人だがね」

「どうしてだ」と、他の客たちがたずねた。

「どうして僕の祖母がプント(賭け骨牌の一種)をしないかが僕には分からないのだ」と、トムスキイは言いつづけた。

「どうしてといって……。 八十にもなったお婆さんがプントをしないのを、何も不思議がることはないじゃないか」と、ナルモヴが言った。

「君はなぜ不可解だか、その理由を知るまい」

「むろん、知らないね」

「よし。 では聴きたまえ。 今から五十年ほど前に、僕の祖母はパリへ行ったことがあるのだ。 ところが、祖母は非常に評判となって、パリの人間はあの『ムスコビートのヴィーナス』のような祖母の流し眼の光栄に浴しようというので、争って、そのあとをつけ廻したそうだ。 祖母の話によると、なんでもリチェリューとかいう男が祖母を口説きにかかったが、祖母に手きびしく撥ねつけられたので、彼はそれを悲観して、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺してしまったそうだ。

そのころの貴婦人間にはファロー(賭け骨牌)をして遊ぶのが流行はやっていた。 ところが、宮廷に骨牌会があった時、祖母はオルレアン公のためにさんざん負かされて、莫大の金を取られてしまった。 そこで、祖母は家へ帰ると、顔の美人粧パッチと袴の箍骨フーブスを取りながら、祖父にその金額をうちあけて、オルレアン公に支払うように命じたのだというのだが、死んだ僕の祖父というのは、僕も知っていたが、まるで祖母の家令のようで、火のごとくに彼女を恐れていたのだ。 その祖父が、祖母から負けた賭け金を聞いたときには、ほとんど気が遠くなったというのだろう、なんでもよほどの金高らしかったのだね。 で、さすがの祖父も、半年のあいだに祖母が賭けでつかった金が五十万フランにも達していることをかぞえ立てて、自分のモスクワやサラトヴの領地がパリにあるわけではないから、とてもそんな巨額の負債は払えないと断然拒絶したのだ。 すると、僕の祖母は祖父の耳のあたりを平手で一つ喰らわせた上に、自分が怒っているということを示すために、黙ってひとりで寝てしまった。

さて、そのあくる日になって、祖母はゆうべの夫への懲らしめがうまくいてくれればいいがと心に祈りながら、祖父を呼び寄せて口説いたが、祖父はやはり頑としてかなかった。 祖母は自分には負債に負債があること、しかし貴族と馭者ぎょしゃとは違うのであるから、負債はどこまでも支払わなければならないことを言い聞かせれば、おそらく説得できるものと思ったので、結婚以来初めて祖父に言訳いいわけをしたり、説明を試みたりしたのだが、結局それは無効に終わって、祖父は依然として聞きれなかった。

序章-章なし
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世界怪談名作集 - 情報

世界怪談名作集 03 スペードの女王

せかいかいだんめいさくしゅう 03 スペードのじょおう

文字数 27,350文字

底本 世界怪談名作集 上

青空情報


底本:「世界怪談名作集 上」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年9月4日初版発行
   2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:大久保ゆう
2004年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:世界怪談名作集

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