フォスフォレッスセンス
著者:太宰治
フォスフォレッスセンス - だざい おさむ
文字数:4,213 底本発行年:1975
「まあ、
「あら、お母さん、それは夢よ。」
この二人の会話に於いて、一体どちらが夢想家で、どちらが現実家なのであろうか。
母は、言葉の上ではまるで夢想家のようなあんばいだし、娘はその夢想を破るような
しかし、母は実際のところは、その夢の可能性をみじんも信じていないからこそ、そのような夢想をやすやすと言えるのであって、かえってそれをあわてて否定する娘のほうが、もしや、という期待を持って、そうしてあわてて否定しているもののように思われる。
世の現実家、夢想家の区別も、このように錯雑しているものの
私は、この世の中に生きている。 しかし、それは、私のほんの一部分でしか無いのだ。 同様に、君も、またあのひとも、その大部分を、他のひとには全然わからぬところで生きているに違いないのだ。
私だけの場合を、例にとって言うならば、私は、この社会と、全く切りはなされた別の世界で生きている数時間を持っている。 それは、私の眠っている間の数時間である。 私はこの地球の、どこにも絶対に無い美しい風景を、たしかにこの眼で見て、しかもなお忘れずに記憶している。
私は私のこの肉体を
私は、睡眠のあいだの夢に於いて、
また私は、眠りの中の夢に於いて、こがれる女人から、実は、というそのひとの本心を聞いた。 そうして私は、眠りから覚めても、やはり、それを私の現実として信じているのである。
夢想家。
そのような、私のような人間は、夢想家と呼ばれ、あまいだらしない種族のものとして多くの人の
私は、一日八時間ずつ眠って夢の中で成長し、老いて来たのだ。
つまり私は、
私にはこの世の中の、どこにもいない親友がいる。 しかもその親友は生きている。 また私には、この世のどこにもいない妻がいる。 しかもその妻は、言葉も肉体も持って、生きている。
私は眼が覚めて、顔を洗いながら、その妻の匂いを身近に感ずる事が出来る。
そうして、夜寝る時には、またその妻に
「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」
「
「冬でも桜桃があるの?」
「スウィス。」
「そう。」
食慾も、またあの性慾とやらも、何も無い涼しい恋の会話が続いて、夢で、以前に何度も見た事のある、しかし、地球の上には絶対に無い湖のほとりの青草原に私たち夫婦は寝ころぶ。
「くやしいでしょうね。」
「馬鹿だ。 みな馬鹿ばかりだ。」
私は涙を流す。
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フォスフォレッスセンス - 情報
青空情報
底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年5月30日第1刷発行
1998(平成10)年6月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年1月25日公開
2005年11月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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