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女の決闘

著者:太宰治

おんなのけっとう - だざい おさむ

文字数:37,523 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集3
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序章-章なし

第一

一回十五枚ずつで、六回だけ、私がやってみることにします。 こんなのは、どうだろうかと思っている。 たとえば、ここに、鴎外おうがいの全集があります。 勿論もちろん、よそから借りて来たものである。 私には、蔵書なんて、ありやしない。 私は、世の学問というものを軽蔑して居ります。 たいてい、たかが知れている。 ことに可笑おかしいのは、全く無学文盲の徒に限って、この世の学問にあこがれ、「あの、鴎外先生のおっしゃいますることには、」などと、おちょぼ口して、いつ鴎外から弟子でしのゆるしを得たのか、先生、先生を連発し、「勉強いたして居ります。」 殊勝しゅしょうらしく、眼を伏せて、おそろしく自己を高尚によそおい切ったと信じ込んで、澄ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。 あさましく、かえって鴎外のほうでまごついて、赤面するにちがいない。 勉強いたして居ります。 というのは商人の使う言葉である。 安く売る、という意味で、商人がもっぱらこの言葉を使用しているようである。 なお、いまでは、役者も使うようになっている。 曾我廼家そがのや五郎とか、また何とかいう映画女優などが、よくそんな言葉を使っている。 どんなことをするのか見当もつかないけれども、とにかく、「勉強いたして居ります。」 とさかんに神妙がっている様子である。 彼等には、それでよいのかも知れない。 すべて、生活の便法である。 非難すべきではない。 けれども、いやしくも作家たるものが、鴎外を読んだからと言って、急に、なんだか真面目くさくなって、「勉強いたして居ります。」 などと、澄まし込まなくてもよさそうに思われる。 それでは一体、いままで何を読んでいたのだろう。 はなはだ心細い話である。 ここに鴎外の全集があります。 私が、よそから借りて来たものであります。 これを、これから一緒に読んでみます。 きっと諸君は、「面白い、面白い、」とおっしゃるにちがいない。 鴎外は、ちっとも、むずかしいことは無い。 いつでも、やさしく書いて在る。 かえって、漱石のほうが退屈である。 鴎外を難解な、深遠のものとして、衆俗のむやみに触れるべからずと、いかめしい禁札を張り出したのは、れいの「勉強いたして居ります。」 女史たち、あるいは、大学の時の何々教授の講義ノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事に隠し持って、機会在る毎にそれをひっぱり出し、ええと、美は醜ならず、醜は美ならず、などと他愛ない事をつぶやき、やたらに外国人の名前ばかり多く出て、はてしなく長々しい論文をしたため、なむ学問なくては、かなうまい、としたり顔して落ちついているわば、あの、研究科の生徒たち。 そんな人たちは、窮極に於いて、あさましい無学者にきまっているのであるが、世の中は彼等を、「智慧ある人」として、畏敬するのであるから、奇妙である。

鴎外だって、あざけっている。 鴎外が芝居しばいを見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白いさむらいが、部屋の中央に端坐たんざし、「どれ、書見しょけんなと、いたそうか。」 と言ったので、鴎外も、これには驚き閉口したと笑って書いて在った。

諸君は、いま私と一緒に、鴎外全集を読むのであるが、ちっとも固くなる必要は無い。

序章-章なし
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女の決闘 - 情報

女の決闘

おんなのけっとう

文字数 37,523文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集3

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年12月7日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:女の決闘

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