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HUMAN LOST

著者:太宰治

ヒューマン ロスト - だざい おさむ

文字数:11,594 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集2
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序章-章なし

思いは、ひとつ、窓前花。

十三日。 なし。

十四日。 なし。

十五日。 かくまで深き、

十六日。 なし。

十七日。 なし。

十八日。

ものかいて扇ひき裂くなごりかな

ふたみにわかれ

十九日。

十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。 来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。 銅貨のふくしゅうだ。 ここは、気ちがい病院なのだ。 となりの部屋の若旦那わかだんなは、ふすまをあけたら、浴衣ゆかたがかかっていて、どうも工合いがわるかった、など言って、みんな私よりからだが丈夫で、大河内昇とか、星武太郎などの重すぎる名を有し、帝大、立大を卒業して、しかも帝王の如く尊厳の風貌をしている。 惜しいことには、諸氏ひとしく自らの身のたけよりも五寸ほどずつ恐縮していた。 母をなぐった人たちである。

四日目、私は遊説ゆうぜいに出た。 鉄格子と、金網かなあみと、それから、重い扉、開閉のたびごとに、がちん、がちん、とかぎの音。 寝ずの番の看守、うろ、うろ。 この人間倉庫の中の、二十余名の患者すべてに、私のからだを投げ捨てて、話かけた。 まるまると白く太った美男の、肩を力一杯ゆすってやって、なまけもの! とののしった。 眼のさめて在る限り、枕頭の商法の教科書を百人一首を読むような、あんなふしをつけて大声で読みわめきつづけている一受験狂に、勉強やめよ、試験全廃だ、と教えてやったら、一瞬ぱっと愁眉しゅうびをひらいた。 うしろ姿のおせん様というあだ名の、セル着たる二十五歳の一青年、日がな一日、部屋の隅、壁にむかってしょんぼり横坐りに居崩いくずれて坐って、だしぬけに私に頭を殴られても、僕はたった二十五歳だ、捨てろ、捨てろ、と低くつぶやきつづけるばかりで私の顔を見ようとさえせぬ故、こんどは私、めそめそするな、と叱って、力いっぱいうしろから抱いてやって激しくせきにむせかえったら、青年いささか得意げに、放せ、放せ、肺病がうつると軽蔑して、私は有難ありがたくて泣いてしまった。 元気を出せ。 みんな、青草原をほしがっていた。 私は、部屋へかえって、「花をかえせ。」 という帝王の呟きに似た調子の張った詩を書いて、廻診しに来た若い一医師にお見せして、しんみに話合った。 午睡という題の、「人間は人間のとおりに生きて行くものだ。」 という詩を書いてみせて、ふたりとも、顔を赤くして笑った。 五六百万人のひとたちが、五六百万回、六七十年つづけてささやき合っている言葉、「気の持ち様。」 というこのなぐさめを信じよう。 僕は、きょうから涙、一滴、見せないつもりだ。 ここに七夜あそんだならば、少しは人が変ります。

序章-章なし
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HUMAN LOST - 情報

HUMAN LOST

ヒューマン ロスト

文字数 11,594文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集2

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年8月30日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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