ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった
著者:渡辺温
ああかぞくさまだよ とわたしはうそをつくのであった - わたなべ おん
文字数:3,032 底本発行年:1970
居留地女の間では
その晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、始めて横浜へ遊びに出かけた。
アレキサンダー君は、そんな遊び場所に就いてなら、日本人の私なんぞよりも、遙かに詳かに心得ていた。
アレキサンダー君は、その自ら名告るところに依れば、旧露国帝室付舞踏師で、革命後上海から日本へ渡って来たのだが、踊を以て生業とすることが出来なくなって、今では銀座裏の、西洋料理店某でセロを弾いていると云う、つまり街頭で、よく見かける羅紗売りより僅かばかり上等な類のコーカサス人である。
それでも、遉にコーカサス生れの故か、髪も眼も真黒で却々
――アレキサンダー君は、露西亜語の他に、拙い日本語と、同じ位拙い英語とを喋ることが出来る。
桜木町の駅に降りたのが、かれこれ九時時分だったので、私達は、先ず暗い波止場の方を廻って、山下町の支那街へ行った。
そして、誰でも知っているインタアナショナル
独逸へ行こうと思っていた頃で、そこの酒場に居合せた軍艦エムデン号の乗組員だったと称する変な独逸人に、ハイデルベルヒの大学へ入る第一の資格は、ビールを四打飲めることだと唆かされて、私はピルズナア・ビールを二打飲んだのであった。
『そのエムデンは店の人です、つまりサクラですね。 ――』
と、アレキサンダー君はハムブルクを斥けた。
『それに、あすこには、こんな別嬪さん一人もいませんです。 つまらないですね。』
アレキサンダー君は、さう云いながら、私達の
『マルウシャ! 日本人の小説を書く人に惚れています。 ――マルウシャ、云いなさい!』
その少女の噂は、私も既に聞いていた。
彼女は私に、××氏から貰ったのだと云う
それから彼女は、アレキサンダー君と組んで踊った。
ストーヴの傍にいた家族の者らしい老夫婦が、ヴァイオリンと
若い時分には、可なりの美人だったらしい面影を留めている女主人が、酒をつぎ乍ら私の話相手になってくれた。
いいよ 君が死ねば僕だって死ぬよ
私達は予定通り、恰度一時間を費して、インタアナショナルを出た。
真暗な河岸通りに青い街灯が惨めに凍えて、烈しい海の香りをふくんだ夜風が吹きまくっていた。
元町へ抜けて、バンガロオへ寄って、そこで十二時になるのを待った。 アレキサンダー君が、このダンス場の看板時間まで踊り度いと云うので、踊の出来ない私は、ぼんやりウイスキーを舐めるばかりで、旺んなホールの光景を見物しながら待っていたわけである。
へべれけに酔っぱらった大そう年をとり過ぎた
だが、彼女は直ぐに、蝋引きの床の上に滑ってころがった。 何度でもころがった。
私は到頭、やっかいな老踊子を、静かに
十二時にバンガロオを追い出されて、私達はさて、大方寝てしまった元町通りを、真直に徒歩で大丸谷へ向った。
『大丸谷は本牧より半分安いですが、悪い。 そして、日本人は好かれませんよ。』 と、アレキサンダー君は、私と腕を組ませて歩きながら云った。
草の生えている真暗な坂道を上がって行くと、左側に何々ホテルと記した、軒燈りの見える家が幾軒となく立ち並んでいた。
私達はその中で、一等堂々として見える
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ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった - 情報
青空情報
底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「講談雑誌」
1929(昭和4)年4月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
2001年10月8日公開
2007年10月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった