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歌よみに与ふる書

著者:正岡子規

うたよみにあたうるしょ - まさおか しき

文字数:17,043 底本発行年:1955
著者リスト:
著者正岡 子規
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序章-章なし

歌よみに与ふる書

おおせごとく近来和歌は一向に振ひ不申もうさず候。 正直に申し候へば万葉以来実朝さねとも以来一向に振ひ不申候。 実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。 あの人をして今十年もかして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。 とにかくに第一流の歌人とぞんじ候。 あなが人丸ひとまろ赤人あかひと余唾よだねぶるでもなく、もとより貫之つらゆき定家ていか糟粕そうはくをしやぶるでもなく、自己の本領屹然きつぜんとして山岳さんがくと高きを争ひ日月と光を競ふ処、実におそるべく尊むべく、覚えずひざを屈するの思ひ有之これあり候。 古来凡庸の人と評し来りしは必ずあやまりなるべく、北条氏をはばかりて韜晦とうかいせし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。 人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之これなく候。 何故と申すに実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間にびざる処、例の物数奇ものずき連中や死に歌よみの公卿くげたちととても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌はみいでられまじく候。 真淵まぶちは力を極めて実朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。 真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて、他の半面を知らざりし故に可有之これあるべく候。

真淵は歌につきては近世の達見家にて、万葉崇拝のところなど当時にありて実にえらいものに有之候へども、せいらの眼より見ればなほ万葉をもめ足らぬ心地ここちいたし候。 真淵が万葉にも善き調ちょうありあしき調ありといふことをいたく気にして繰り返し申し候は、世人が万葉中の佶屈きっくつなる歌を取りて「これだから万葉はだめだ」などと攻撃するを恐れたるかと相見え申候。 固より真淵自身もそれらを善き歌とは思はざりし故に弱みもいで候ひけん。 しかしながら世人が佶屈と申す万葉の歌や、真淵が悪き調と申す万葉の歌の中には、生の最も好む歌も有之と存ぜられ候。 そを如何いかにといふに、他の人は言ふまでもなく真淵の歌にも、生が好む所の万葉調といふ者は一向に見当り不申候。 もっともこの辺の論は短歌につきての論と御承知可被下くださるべく候)真淵の家集かしゅうを見て、真淵は存外に万葉の分らぬ人とあきれ申候。 かく申し候とて全く真淵をけなす訳にては無之候。 楫取魚彦かとりなひこは万葉を模したる歌を多く詠みいでたれど、なほこれと思ふ者は極めて少く候。 さほどに古調は擬しがたきにやと疑ひをり候処、近来生らの相知れる人の中に歌よみにはあらでかへつて古調をたくみに模する人少からぬことを知り申候。 これにりて観れば昔の歌よみの歌は、今の歌よみならぬ人の歌よりも、はるかに劣り候やらんと心細く相成あいなり申候。 さて今の歌よみの歌は昔の歌よみの歌よりも更に劣り候はんには如何いかが申すべき。

長歌のみはやや短歌と異なり申候。 古今集こきんしゅう』の長歌などははしにも棒にもかからず候へども、箇様かような長歌は古今集時代にも後世にも余り流行はやらざりしこそもつけのさいわいと存ぜられ候なれ。 されば後世にても長歌を詠む者にはただちに万葉を師とする者多く、従つてかなりの作を見受け申候。 今日とても長歌を好んで作る者は短歌に比すれば多少手際てぎわ善く出来申候。 御歌会派おうたかいはの気まぐれに作る長歌などは端唄はうたにも劣り申候)しかしある人は難じて長歌が万葉の模型を離るるあたはざるを笑ひ申候。 それももっともには候へども歌よみにそんなむつかしい事を注文致し候はば、古今以後ほとんど新しい歌がないと申さねば相成間敷まじく候。 なほいろいろ申し残したる事は後鴻こうこうゆずり申候。 不具。

(明治三十一年二月十二日)

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再び歌よみに与ふる書

貫之つらゆきは下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。 その貫之や『古今集』を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものの、実はかく申す生も数年前までは『古今集』崇拝の一人にて候ひしかば、今日世人が『古今集』を崇拝する気味合きみあいく存申候。 崇拝してゐる間は誠に歌といふものは優美にて『古今集』はことにその粋を抜きたる者とのみ存候ひしも、三年の恋一朝いっちょうにさめて見れば、あんな意気地いくじのない女に今までばかされてをつた事かと、くやしくも腹立たしく相成候。 先づ『古今集』といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年こぞとやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実にあきれ返つた無趣味の歌に有之候。 日本人と外国人とのあいを日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候。

序章-章なし
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歌よみに与ふる書 - 情報

歌よみに与ふる書

うたよみにあたうるしょ

文字数 17,043文字

著者リスト:
著者正岡 子規

底本 歌よみに与ふる書

青空情報


底本:「歌よみに与ふる書」岩波文庫、岩波書店
   1955(昭和30)年2月25日第1刷発行
   1983(昭和58)年3月16日第8刷改版発行
   2002(平成14)年11月15日第26刷発行
入力:網迫、土屋隆
校正:川向直樹
2004年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:歌よみに与ふる書

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