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美男子と煙草

著者:太宰治

びだんしとたばこ - だざい おさむ

文字数:4,479 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集9
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序章-章なし

私は、ひとりで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。 けれども、まさか、いままで軽蔑けいべつしつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。 私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。

私のたたかい。 それは、一言[#「一言」は底本では「一事」]で言えば、古いものとのたたかいでした。 ありきたりの気取りに対するたたかいです。 見えすいたお体裁ていさいに対するたたかいです。 ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。

私は、エホバにだって誓って言えます。 私は、そのたたかいの為に、自分の持ち物全部を失いました。 そうして、やはり私は独りで、いつも酒を飲まずには居られない気持で、そうして、どうやら、負けそうになって来ました。

古い者は、意地が悪い。 何のかのと、陳腐ちんぷきわまる文学論だか、芸術論だか、恥かしげも無く並べやがって、もって新しい必死の発芽を踏みにじり、しかも、その自分の罪悪に一向お気づきになっておらない様子なんだから、恐れいります。 押せども、ひけども、動きやしません。 ただもう、命が惜しくて、金が惜しくて、そうして、出世して妻子をよろこばせたくて、そのために徒党を組んで、やたらと仲間ぼめして、所謂いわゆる一致団結して孤影の者をいじめます。

私は、負けそうになりました。

先日、或るところで、下等な酒を飲んでいたら、そこへ年寄りの文学者が三人はいって来て、私がそのひとたちとは知合いでも何でも無いのに、いきなり私を取りかこみ、ひどくだらしない酔い方をして、私の小説にいて全く見当ちがいの悪口を言うのでした。 私は、いくら酒を飲んでも、乱れるのは大きらいのたちですから、その悪口も笑って聞き流していましたが、家へ帰って、おそい夕ごはんを食べながら、あまり口惜くやしくて、ぐしゃと嗚咽おえつが出て、とまらなくなり、お茶碗ちゃわんはしも、手放して、おいおい男泣きに泣いてしまって、お給仕していた女房に向い、

「ひとが、ひとが、こんな、いのちがけで必死で書いているのに、みんなが、軽いなぶりものにして、……あのひとたちは、先輩なんだ、僕より十も二十も上なんだ、それでいて、みんな力を合せて、僕を否定しようとしていて、……卑怯ひきょうだよ、ずるいよ、……もう、いい、僕だってもう遠慮しない、先輩の悪口を公然と言う、たたかう、……あんまり、ひどいよ。」

などと、とりとめの無い事をつぶやきながら、いよいよはげしく泣いて、女房はあきれた顔をして、

「おやすみなさい、ね。」

と言い、私を寝床に連れて行きましたが、寝てからも、そのくやし泣きの嗚咽が、なかなか、とまりませんでした。

ああ、生きて行くという事は、いやな事だ。 ことにも、男は、つらくて、かなしいものだ。 とにかく、何でもたたかって、そうして、勝たなければならぬのですから。

その、くやし泣きに泣いた日から、数日後、或る雑誌社の、若い記者が来て、私に向い、妙な事を言いました。

「上野の浮浪者を見に行きませんか?」

「浮浪者?」

「ええ、一緒の写真をとりたいのです。」

「僕が、浮浪者と一緒の?」

「そうです。」

と答えて、落ちついています。

なぜ、特に私を選んだのでしょう。 太宰といえば、浮浪者。 浮浪者といえば、太宰。 何かそのような因果関係でもあるのでしょうか。

「参ります。」

私は、泣きべその気持の時に、かえって反射的に相手に立向う性癖を持っているようです。

私はすぐ立って背広に着換え、私の方から、その若い記者をせき立てるようにして家を出ました。

序章-章なし
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美男子と煙草 - 情報

美男子と煙草

びだんしとたばこ

文字数 4,479文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集9

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年5月30日第1刷発行
   1998(平成10)年6月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年1月23日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:美男子と煙草

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