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二十世紀旗手

著者:太宰治

にじゅっせいききしゅ - だざい おさむ

文字数:13,972 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集2
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序章-章なし

序唱 神のほのお苛烈かれつを知れ

苦悩たかきが故に尊からず。 これでもか、これでもか、生垣へだてたる立葵たちあおいの二株、おたがい、高い、高い、ときそって伸びて、伸びて、ひょろひょろ、いじけた花の二、三輪、あかき色の華美を誇りし昔わすれ顔、黒くしなびた花弁のしわもかなしく、「九天たかき神の園生そのう、われは草鞋わらじのままにてあがりこみ、たしかに神域犯したてまつりて、けれども恐れず、この手でただいま、御園の花を手折たおって来ました。 そればかりでは、ない。 神の昼寝の美事な寝顔までも、これ、この眼で、たしかにのぞき見してまいりましたぞ。」 などと、旗取り競争第一着、駿足の少年にも似たる有頂天の姿には、いまだ愛くるしさも残りて在り、見物人も微笑、もしくは苦笑もて、ゆるしていたが、一夜、この子は、相手もあろに氷よりも冷い冷い三日月さまにれられて、あやしく狂い、「神も私も五十歩百歩、大差ござらぬ。 あの日、三伏さんぷくの炎熱、神もまたオリンピック模様の浴衣ゆかたいちまい、腕まくりのお姿でござった。」 聞くもの大笑せぬはなく、意外、望外の拍手、大喝采。 ああ、かの壇上の青黒き皮膚、痩狗そうくそのままに、くちばし突出、身の丈ひょろひょろと六尺にちかき、かたち老いたる童子、実は、れいの高い高いの立葵の精は、この満場の拍手、叫喚の怒濤どとうを、目に見、耳に聞き、この奇現象、すべて彼が道化役者そのままの、おかしの風貌ゆえとも気づかず、ぶくぶくの鼻うごめかして、いまは、まさしく狂喜、眼のいろ、いよいよ奇怪に燃え立ちて、「今宵七夕たなばたまつりに敢えて宣言、私こそ神である。 九天たかくおわします神は、来る日も来る日も昼寝のみ、まったくの怠慢。 私いちど、しのび足、かれの寝所に滑り込んで神の冠、そっとこの大頭おおあたまへ載せてみたことさえございます。 神罰なんぞ恐れんや。 はっはっは。 いっそ、その罰、拝見したいものではある!」予期の喝采、起らなかった。 しんとなった。 つづいてざわざわの潮ざい、「身のほど知らぬふざけた奴。」 「神さま、これこそ夢であるように。 きゃっ! この劇場には鼠がいますね。」 「賤民の増長傲慢ごうまん、これで充分との節度を知らぬ、いやしき性よ、ああ、あのかお、ふためと見られぬ雨蛙。」 一瞬、はっし! なかば喪心の童子の鼻柱めがけて、石、投ぜられて、そのとき、そもそも、かれの不幸のはじめ、おのれの花の高さ誇らむプライドのみにて仕事するから、このような、痛い目に逢うのだ。 芸術は、旗取り競争じゃないよ。 それ、それ。 汚い。 鼻血。 見るがいい、君の一点の非なき短篇集「晩年」とやらの、冷酷、見るがいい。 傑作のお手本、あかはだか苦しく、どうかがまの穂敷きつめた暖き寝所つくって下さいね、と眠られぬ夜、蚊帳かやのそとに立って君へお願いして、寒いのであろう、二つ三つ大きいくしゃみ残して消え去った、とか、いうじゃないか。 わが生涯の情熱すべてこの一巻に収め得たぞ、と、ほっと溜息もらすまも無し、罰だ、罰だ、神の罰か、市民の罰か、困難不運、愛憎転変、かの黄金の冠を誰知るまいとこっそりかぶって鏡にむかい、にっとひとりで笑っただけの罪、けれども神はゆるさなかった。 君、神様は、天然の木枯こがらしと同じくらいに、いやなものだよ。 峻厳しゅんげん執拗しつよう、わが首すじおさえては、ごぼごぼ沈めて水底這わせ、人の子まさに溺死できしせんとの刹那せつな、すこし御手ゆるめ、そっと浮かせていただいて陽の目うれしく、ほうと深い溜息、せめて、五年ぶりのこの陽を、なお念いりにおがみましょうと、両手合せた、とたん、首筋の御手のちから加わりて、また、また、五百何十回めかの沈下、泥中の亀の子のお家来になりに沈んでゆきます。 身を捨ててこそ浮ぶ瀬あるものでして、と苦労人の忠告、その忠告は、まちがっています。 いちど沈めば、ぐうとそれきり沈みきりに沈んで、まさに、それっきりのぱあ、浮ぶお姿、ひとりでもあったなら、拝みたいものだよ。 われより若き素直の友に、この世のまことの悪を教えむものと、坐り直したときには、すでに、神の眼、ぴかと光りて御左手なるタイムウオッチ、そろそろ沈下の刻限を告げて、「ああ、また、また、五年は水の底、ふたたびお眼にかかれますかどうか。」 神の胴間声どうまごえ、「用意!」「こいしくば、たずねきてみよ、みずの底、ああ、せめて、もう一言、あの、――」聞ゆるは、ただ、波の音のみにて。

壱唱 ふくろうのく夜かたわの子うまれけり

さいさきよいぞ。 いま、壱唱、としたためて、まさしく、奇蹟きせきあらわれました。 ニッケル小型五銭だまくらいの豆スポット。 朝日が、いまだあけ放たぬ雨戸の、釘穴をくぐって、ちょうど、この、「壱唱」の壱の字へ、さっと光を投入したのだ。 奇蹟だ、奇蹟だ、握手、ばんざい。

序章-章なし
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二十世紀旗手 - 情報

二十世紀旗手

にじゅっせいききしゅ

文字数 13,972文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集2

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年8月7日公開
2005年10月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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