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著者:太宰治

うそ - だざい おさむ

文字数:8,331 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集8
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序章-章なし

「戦争が終ったら、こんどはまた急に何々主義だの、何々主義だの、あさましく騒ぎまわって、演説なんかしているけれども、私は何一つ信用できない気持です。 主義も、思想も、へったくれもらない。 男はうそをつく事をやめて、女は慾を捨てたら、それでもう日本の新しい建設が出来ると思う。」

私は焼け出されて津軽の生家の居候いそうろうになり、鬱々うつうつとして楽しまず、ひょっこり訪ねて来た小学時代の同級生でいまはこの町の名誉職の人に向って、そのような八つ当りの愚論を吐いた。 名誉職は笑って、

「いや、ごもっとも。 しかし、それは、逆じゃありませんか。 男が慾を捨て、女が嘘をつく事をやめる、とこう来なくてはいけません。」 といやにはっきり反対する。

私はたじろぎ、

「そりゃまた、なぜです。」

「まあ、どっちでも、同じ様なものですが、しかし、女の嘘はすごいものです。 私はことしの正月、いやもう、身の毛もよだつような思いをしました。 それ以来、私は、てんで女というものを信用しなくなりました。 うちの女房なんか、あんな薄汚い婆でも、あれで案外、ほかに男をこしらえているかも知れない。 いや、それは本当に、わからないものですよ。」 と笑わずに言って、次のように田舎いなかの秘話を語り聞かせてくれた。 以下「私」というのは、その当年三十七歳の名誉職御自身の事である。

今だから、こんな話も公開できるのですが、当時はそれこそ極秘の事件で、この町でこの事件にいて多少でも知っていたのは、ここの警察署長と(この署長さんは、それから間もなく転任になりましたが、いい人でした)それから、この私と、もうそれくらいのものでした。

ことしのお正月は、日本全国どこでもそのようでしたが、この地方も何十年振りかの大雪で、往来の電線に手がとどきそうになるほど雪が積り、庭木はへし折られ、へいは押し倒され、またぺしゃんこにつぶされた家などもあり、ほとんど大洪水みたいな被害で、連日の猛吹雪のため、このあたり一帯の交通が二十日も全くと絶えてしまいました。 その頃の事です。

夜の八時ちょっと前くらいだったでしょうか、私が上の女の子に算術を教えていたら、ほとんどもう雪だるまそっくりの恰好かっこうで、警察署長がやって来ました。

何やら、どうも、ただならぬ気配です。 あがれ、と言っても、あがりません。 この署長はひどく酒が好きで、私とはいい飲み相手で、もとから遠慮も何も無い仲だったのですが、その夜は、いつになく他人行儀で、土間に突立ったまま、もじもじして、

「いや、きょうは、」と言い、「お願いがあって来たのです。」 と思いつめたような口調で言う。 これはいよいよ、ただ事でないと、私も緊張しました。

私は下駄げたをつっかけて土間へ降り、無言で鶏小屋へ案内しました。 ひなの保温のために、その小屋には火鉢を置いてあるのです。 私たちは真暗い鶏小屋にこっそりはいります。 私たちがはいって行っても、鶏どもが少しも騒がなかったほど、それほどこっそり忍び込んだのです。

私たちは火鉢を中にして、向い合って突立っていました。

「絶対に秘密にして置いて下さい。 脱走事件です。」 と署長は言う。

警察の留置場から誰か脱走したのだろう、と私は、はじめはそう思いました。 黙って、次の説明を待っていました。

「たぶん、この町には、先例の無かった事でしょう。

序章-章なし
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嘘 - 情報

うそ

文字数 8,331文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集8

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年2月1日公開
2005年11月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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