頭ならびに腹
著者:横光利一
あたまならびにはら - よこみつ りいち
文字数:2,763 底本発行年:1924
真昼である。 特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。 沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
とにかく、かう云ふ現象の中で、その詰み込まれた列車の乗客中に一人の横着さうな子僧が混つてゐた。 彼はいかにも一人前の顔をして一席を占めると、手拭で鉢巻をし始めた。 それから、窓枠を両手で叩きながら大声で唄ひ出した。
「うちの嬶ア
福ぢやア
ヨイヨイ、
福は福ぢやが、
お多福ぢや
ヨイヨイ。」
人々は笑ひ出した。 しかし、彼の歌ふ様子には周囲の人々の顔色には少しも頓着せぬ熱心さが大胆不敵に籠つてゐた。
「寒い寒いと
云たとて寒い。
何が寒かろ。
やれ寒い。
ヨイヨイ。」
彼は頭を振り出した。 声はだんだんと大きくなつた。 彼のその意気込みから察すると、恐らく目的地まで到着するその間に、自分の知つてゐる限りの唄を唄ひ尽さうとしてゐるかのやうであつた。 歌は次ぎ次ぎにと彼の口から休みなく変へられていつた。 やがて、周囲の人々は今は早やその傍若無人な子僧の歌を誰も相手にしなくなつて来た。 さうして、車内は再びどこも退窟と眠気のために疲れていつた。
そのとき、突然列車は停車した。 暫く車内の人々は黙つてゐた。 と、俄に彼等は騒ぎ立つた。
「どうした!」
「何んだ!」
「何処だ!」
「衝突か!」
人々の手から新聞紙が滑り落ちた。 無数の頭が位置を乱して動揺めき出した。
「どこだ!」
「何んだ!」
「どこだ!」
動かぬ列車の横腹には、野の中に名も知れぬ寒駅がぼんやりと横たはつてゐた。 勿論、其処は止るべからざる所である。
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頭ならびに腹 - 情報
青空情報
底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「無禮な街」文藝日本社
1924(大正13)年5月20日発行
初出:「文藝時代 第1巻第1号」
1924(大正13)年10月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月10日公開
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:頭ならびに腹