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舞姫

著者:森鴎外

まいひめ - もり おうがい

文字数:15,409 底本発行年:1969
著者リスト:
著者森 鴎外
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序章-章なし

石炭をばや積み果てつ。 中等室のつくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきもいたづらなり。 今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。

五年前いつとせまへの事なりしが、平生ひごろの望足りて、洋行の官命をかうむり、このセイゴンの港までし頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとしてあらたならぬはなく、筆に任せて書きしるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日けふになりておもへば、をさなき思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。 こたびは途に上りしとき、日記にきものせむとて買ひし冊子さつしもまだ白紙のまゝなるは、独逸ドイツにて物学びせしに、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

げにひんがしかへる今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。 きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せむ。 これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。

嗚呼あゝ、ブリンヂイシイの港をでゝより、早や二十日はつかあまりを経ぬ。 世の常ならば生面せいめんの客にさへまじはりを結びて、旅の憂さを慰めあふが航海のならひなるに、微恙びやうにことよせてへやうちにのみこもりて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨にかしらのみ悩ましたればなり。 この恨は初め一抹の雲の如くわが心をかすめて、瑞西スヰスの山色をも見せず、伊太利イタリアの古蹟にも心を留めさせず、中頃は世をいとひ、身をはかなみて、はらわた日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点のかげとのみなりたれど、ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度いくたびとなく我心を苦む。 嗚呼、いかにしてか此恨をせうせむ。 ほかの恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地こゝちすが/\しくもなりなむ。 これのみは余りに深く我心にりつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴ばうどの来て電気線の鍵をひねるには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。

余は幼きころより厳しき庭のをしへを受けし甲斐かひに、父をば早くうしなひつれど、学問のすさみ衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌よびくわうに通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎とよたらうといふ名はいつも一級のはじめにしるされたりしに、一人子ひとりごの我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。 十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、なにがし省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚えことなりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十をえし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々はる/″\と家を離れてベルリンの都に来ぬ。

余は模糊もこたる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこの欧羅巴ヨオロツパの新大都の中央に立てり。 何等なんらの光彩ぞ、我目を射むとするは。 何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。 菩提樹下と訳するときは、幽静なるさかひなるべく思はるれど、この大道かみの如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々くみ/″\の士女を見よ。 胸張り肩そびえたる士官の、まだ維廉ヰルヘルム一世の街に臨める※(「窗/心」、第3水準1-89-54)まどり玉ふ頃なりければ、様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、かほよ少女をとめ巴里パリーまねびのよそほひしたる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青チヤンの上を音もせで走るいろ/\の馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたるところには、晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つる噴井ふきゐの水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさしはしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多あまたの景物目睫もくせふの間にあつまりたれば、始めてこゝにしものゝ応接にいとまなきもうべなり。 されど我胸にはたとひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物をさへぎり留めたりき。

余が鈴索すゞなはを引き鳴らしてえつを通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもせむと約しき。 喜ばしきは、わが故里ふるさとにて、独逸、仏蘭西フランスの語を学びしことなり。 彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。

さて官事のいとまあるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めむと、名を簿冊ぼさつに記させつ。

ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第にはかどり行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて、つひには幾巻いくまきをかなしけむ。 大学のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二三の法家の講筵かうえんつらなることにおもひ定めて、謝金を収め、往きて聴きつ。

かくて三年みとせばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなどむるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりとはげますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなくおだやかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。 余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにもよろしからず、また善く法典をそらんじて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。

余はひそかに思ふやう、我母は余をきたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。 辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。 今までは瑣々さゝたる問題にも、極めて丁寧ていねいにいらへしつる余が、この頃より官長に寄する書にはしきりに法制の細目にかゝづらふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ。 又大学にては法科の講筵を余所よそにして、歴史文学に心を寄せ、漸くしよむ境に入りぬ。

官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。 独立の思想をいだきて、人なみならぬおももちしたる男をいかでか喜ぶべき。 危きは余が当時の地位なりけり。 されどこれのみにては、なほ我地位をくつがへすに足らざりけんを、日比ひごろ伯林ベルリンの留学生のうちにて、或る勢力ある一群ひとむれと余との間に、面白からぬ関係ありて、彼人々は余を猜疑さいぎし、又つひに余を讒誣ざんぶするに至りぬ。 されどこれとても其故なくてやは。

序章-章なし
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舞姫 - 情報

舞姫

まいひめ

文字数 15,409文字

著者リスト:
著者森 鴎外

底本 現代日本文學大系 7

青空情報


底本:「現代日本文學大系 7」筑摩書房
   1969(昭和44)年8月25日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
入力:多羅尾伴内
校正:蒋龍
2004年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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