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著者:芥川龍之介

うん - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:6,897 底本発行年:1971
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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序章-章なし

目のあらいすだれが、入口にぶらさげてあるので、往来の容子ようすは仕事場にいても、よく見えた。 清水きよみずへ通う往来は、さっきから、人通りが絶えない。 金鼓こんくをかけた法師ほうしが通る。 壺装束つぼしょうぞくをした女が通る。 そのあとからは、めずらしく、黄牛あめうしかせた網代車あじろぐるまが通った。 それが皆、まばらがますだれの目を、右からも左からも、来たかと思うと、通りぬけてしまう。 その中で変らないのは、午後の日が暖かに春をあぶっている、狭い往来の土の色ばかりである。

その人の往来を、仕事場の中から、何と云う事もなく眺めていた、一人の青侍あおざむらいが、この時、ふと思いついたように、あるじ陶器師すえものつくりへ声をかけた。

不相変あいかわらず観音様かんのんさまへ参詣する人が多いようだね。」

「左様でございます。」

陶器師すえものつくりは、仕事に気をとられていたせいか、少し迷惑そうに、こう答えた。 が、これは眼の小さい、鼻の上を向いた、どこかひょうきんな所のある老人で、顔つきにも容子ようすにも、悪気らしいものは、微塵みじんもない。 着ているのは、あさ帷子かたびらであろう。 それにえた揉烏帽子もみえぼしをかけたのが、この頃評判の高い鳥羽僧正とばそうじょうの絵巻の中の人物を見るようである。

「私も一つ、日参にっさんでもして見ようか。 こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」

御冗談ごじようだんで。」

「なに、これで善い運がさずかるとなれば、私だって、信心をするよ。 日参をしたって、参籠さんろうをしたって、そうとすれば、安いものだからね。 つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」

青侍は、年相応な上調子うわちょうしなもの言いをして、下唇をめながら、きょろきょろ、仕事場の中を見廻した。 ――竹藪たけやぶうしろにして建てた、藁葺わらぶきのあばらだから、中は鼻がつかえるほど狭い。 が、簾の外の往来が、目まぐるしく動くのに引換えて、ここでは、かめでも瓶子へいしでも、皆あかちゃけた土器かわらけはだをのどかな春風に吹かせながら、百年も昔からそうしていたように、ひっそりかんと静まっている。 どうやらこの家のむねばかりは、つばめさえも巣を食わないらしい。 ……

おきなが返事をしないので、青侍はまた語をいだ。

「おじいさんなんぞも、この年までには、随分いろんな事を見たり聞いたりしたろうね。 どうだい。 観音様は、ほんとうに運を授けて下さるものかね。」

「左様でございます。 昔は折々、そんな事もあったように聞いて居りますが。」

「どんな事があったね。」

「どんな事と云って、そう一口には申せませんがな。 ――しかし、貴方あなたがたは、そんな話をお聞きなすっても、格別面白くもございますまい。」

「可哀そうに、これでも少しは信心気しんじんぎのある男なんだぜ。 いよいよ運が授かるとなれば、明日あすにも――」

「信心気でございますかな。 商売気でございますかな。」

おきなは、めじりしわをよせて笑った。

序章-章なし
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運 - 情報

うん

文字数 6,897文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集1

親本 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集

青空情報


底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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