志賀直哉氏の作品
著者:菊池寛
しがなおやしのさくひん - きくち かん
文字数:4,948 底本発行年:1987
自分は現代の作家の中で、一番志賀氏を尊敬している。 尊敬しているばかりでなく、氏の作品が、一番好きである。 自分の信念の通りに言えば、志賀氏は現在の日本の文壇では、最も傑出した作家の一人だと思っている。
自分は、「白樺」の創刊時代から志賀氏の作品を愛していた。 それから六、七年になる。 その間に自分はかつて愛読していた他の多くの作家(日本と外国とを合せて)に、幻滅を感じたり愛想を尽かしたりした。 が、志賀氏の作品に対する自分の心持だけは変っていない。 これからも変るまいと思う。
自分が志賀氏に対する尊敬や、好愛は殆ど絶対的なもので従って自分はこの文章においても志賀氏の作品を批評する
志賀氏は、その小説の手法においても、その人生の見方においても、根柢においてリアリストである。
この事は、充分確信を以て言ってもいいと思う。
が、氏のリアリズムは、文壇における自然派系統の老少幾多の作家の持っているリアリズムとは、似ても似つかぬように自分に思われる。
先ず手法の点から言って見よう。
リアリズムを
「深い秋の静かな晩だつた。
沼の上を雁が
何という冴えた表現であろうと、自分はこの数行を読む度に感嘆する。
普通の作家なれば、数十行乃至数百行を費しても、こうした情景は浮ばないだろう。
いわゆるリアリズムの作家にこうした洗練された立派な表現があるだろうか。
志賀氏のリアリズムが、氏独特のものであるという事は、こうした点からでも言い得ると思う。
氏は、この数行において、多くを描いていない。
しかも、この数行において、淋しい湖畔における夫婦者の静寂な生活が、
「自分は別にいもりを狙はなかつた。
ねらつても