小説家たらんとする青年に与う
著者:菊池寛
しょうせつかたらんとするせいねんにあたう - きくち かん
文字数:2,536 底本発行年:1987
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を
とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。
とにかく、どんなものでも、自分自身、独特の哲学といったものを持つことが必要だと思う。 それが出来るまでは、小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎないと思う。 だから、二十歳前後の青年が、小説を持って来て、「見てくれ」というものがあっても、実際、挨拶のしようがないのだ。 で、とにかく、人生というものに対しての自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一であって、それより以上、注意することはない。 小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う。
実際、小説を書く練習ということには、人生というものに対して、これをどんな風に見るかということ、――つまり、人生を見る眼を、段々はっきりさせてゆく、それが一番大切なのである。
吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四ヵ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上ってしまうが、それと同じく、小説を書く修業も、色々なことを考えたり、或は世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に向って書くのは、一番最後の半年か一年でいいと思う。
小説を書くということは、決して紙に向って筆を動かすことではない。
吾々の
では、ただ生活してさえ行ったら、それでいいかというに、決してそうではない。 生活しながら、色々な作家が、どういう風に、人生を見たかを知ることが大切だ。 それには、矢張り、多く読むことが必要だ。
そして、それら多くの作家が、
こういう風に、自分自身の人生観――そういうものが出来れば、小説というものも、自然に作られる。 もうその表現の形式は、自然と浮んで来るのだ。 自分の考えでは、――その作者の人生観が、世の中の事に触れ、折に触れて、表われ出たものが小説なのである。
すなわち、小説というものは、或る人生観を持った作家が、世の中の事象に事よせて、自分の人生観を発表したものなのである。
だから、そういう意味で、小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが大切だと思う。
そこで、まだ世の中を見る眼、それから人生に対する考え、そんなものが、ハッキリと定まっていない、独特のものを持っていない、二十五歳未満の青少年が、小説を書いても、それは無意味だし、また、しようがないのである。
そういう青年時代は、ただ、色々な作品を読んで、また実際に、生活をして、自分自身の人生に対する考えを、的確に、築き上げて行くべき時代だと思う。
僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。 それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない。 紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
とにかく、自分が、書きたいこと、発表したいもの、また発表して価値のあるもの、そういうものが、頭に出来た時には、表現の形は、
そこで、いわゆる小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何んにも
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
小説家たらんとする青年に与う - 情報
青空情報
底本:「半自叙伝」講談社学術文庫、講談社
1987(昭和62)年7月10日第1刷発行
入力:大野晋
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:小説家たらんとする青年に与う