半七捕物帳 01 お文の魂
著者:岡本綺堂
はんしちとりものちょう - おかもと きどう
文字数:15,811 底本発行年:1950
一
わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の
その叔父が唯一度こんなことを云つた。
「併し世の中には解らないことがある。 あのおふみの一件なぞは……。」
おふみの一件が何であるかは誰も知らなかつた。
叔父も自己の主張を裏切るやうな、この不可解の事實を發表するのが如何にも殘念であつたらしく、それ以上には何も祕密を洩さなかつた。
父に
わたしの質問に對して、Kのをぢさんも滿足な返答をあたへて
「まあ、そんなことは
ふだんから話好きのをぢさんもこの問題については堅く口を結んでゐるので、わたしも押返して詮索する手がかりが無かつた。
學校で毎日のやうに物理學や數學をどしどし詰め込まれるのに忙しい私の頭からは、おふみと云ふ女の名も次第に煙のやうに消えてしまつた。
それから二年ほど經つて、なんでも十一月の末であつたと記憶してゐる。
わたしが學校から歸る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なりに強い降りになつた。
Kのをばさんは近所の人に誘はれて、けふは
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ。」
と前の日にKのをぢさんが云つた。
わたしはその約束を守つて、夕飯を濟ますと直ぐにKのをぢさんをたづねた。
Kの家はわたしの家から直徑にして四町ほどしか
Kのをぢさんは役所から歸つて、もう夕飯をしまつて、湯から歸つてゐた。 をぢさんは私を相手にしてランプの前で一時間ほども他愛もない話などをしてゐた。 時々に雨戸を撫でる庭の八つ手の大きい葉に、雨の音がぴしやぴしやときこえるのも、外の暗さを想はせるやうな夜であつた。 柱にかけてある時計が七時を打つと、をぢさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「大分降つて來たな。」
「をばさんは歸りに困るでせう。」
「なに、
かう云つてをぢさんは又默つて茶を